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3  6月茶道「雲去青山露」(くも さって せいざん あらわる)

よく茶席でも使われる禅語です。この時期の言葉でもあります。

茶道と禅とのかかわりは平安時代末ごろから始まったようです。

とはいっても、奈良時代、聖武天皇の時代(729年)に、行茶という儀式が行われていたという資料も残っているようですし、その時に用いられたとされる茶碗が正倉院の御物の中にあります。

ですから、そのころは団茶とよばれるものですが、すでに奈良時代に茶を飲む風習は日本へ遣唐使や渡来僧によって伝わっていたようです。

平安末ごろから鎌倉時代あたりになって中国で禅を学んだ栄西という僧が茶の種子を持ち帰って抹茶を飲む習慣を日本に伝えたとされています。

このあたりから禅とのかかわりがでてきたんですね。

その後、簡素で落ちついた禅の精神からなるお茶の祖となった村田珠光も禅寺の僧でしたし、その珠光の侘茶を引き継いだ武野紹鷗も禅を大徳寺で学んでいます。この紹鴎の侘茶の精神を受け継いだのが、よく学校の社会や歴史の教科書にも載っている千利休です。

この利休が紹鴎に入門するときの面白いエピソードなども残っています。またどこかでこれも書きたいと思います。


とにかく、こうやって禅と茶道の結びつきは深く、よく掛け軸の言葉なども禅語が用いられていることもあります。

この「雲去青山露」(くもさって せいざん あらわる)ですが、

表面の意味は、≪そこに青山があることは確かなのだが、雲がかかって見えなかった。しかし、雲がなくなったので、青山がくっきりと姿を露わしてきた≫というもの。

その裏に隠された意味は、≪およそ人は皆、仏性を本来円満に備えているのであるが、煩悩の雲、妄想の雲に覆われているため、その所在さえも確かでない。しかし、如法に真剣に座禅に打ち込んだおかげで、煩悩妄想の雲霧が消散して仏性があらわれるに至った≫という意味があります。

これは禅の世界に限ったことでなく現代の私たちにも当てはめていろんな解釈できます。

煩悩や妄想の雲は思い込みや刷り込まれた信念や価値観などとも言い換えてもいいかもしれません。そのようなものばかりに覆いつくされてしまうと心の目が曇ってしまう、本来の自分らしさというものを失ってしまいます。

しかし、いざ瞑想のような心を落ち着け静に入ってくと、何にこだわっていたのか、またこだわっていた自分や必要のない思い込みなど気づきも出てきます。そしてそれらを一つ一つ、一枚一枚、手放していくと、今までの自分の物の見方や考え方が変わっていくし、心に愛や心身ともに軽やかになれる自分を感じると思います。

そこから本来の自分に気づいたりするものです。

同義として、「雲収山岳青」という言葉もあります。

今回、この「雲去青山露」の言葉、ちょっと気に留めてみてください。
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