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長崎と終戦の日に思うこと

光
私が学生時代を過ごし、教員時代も過ごした地、長崎。この地は私の人生にとって大きな意味のある大切な思い出の場所。

その長崎も、2014年8月9日で原爆投下から69年が過ぎました。

69年前、 

1945年8月9日11時02分. 昭和20年8月9日午前11時02分、9600 メートル上空から投下された原爆は、長崎市の北部にあたる松山町の上空役500 メートルで炸裂しました。
その当時、長崎市には人口約240,000人、原子爆弾による被害者数(1945年12月末までの推定)で死者73,884人、負傷者74,909人(1950年長崎市原爆資料保存員会調査)と多くの犠牲者がでました。≪数年前に長崎原爆資料館を訪ねた際に購入した資料より≫

もちろん、私は生まれていません。

私がまだ小学生のころは、原爆投下の日は夏休み中の学校の登校日でした。体育館には、原爆に関する資料が写真など張られて、それを見たり、体育館で大きなスクリーンで映画を見たりしたのを覚えています。

そんな登校日を毎年迎えるたびに、戦争について、平和について子供ながらに胸にいろんな思いが刻まれていきました。

最近の日本はわかりませんが、いつのころからか気づいたらそのような登校日も少なくなっていた気がします。

また、そのころになるとテレビで放映される特別番組をみたり、両親につれられても、そのような戦争の話を聞きに行ったり映写機が回っているところへ連れられて行ったのも覚えています。その時は、あまりにも現実的な感じのイメージに、小学生の私もどきっとした感覚を今でも覚えています。

また、祖母から聞く戦争体験や、戦争当時の話を親から聞いている両親からの話はとてもなまなましく・・・。

また、父は子供がいうのも変ですが博識で、いろんな知っていることを私たち子供らに話をしたり、資料をどこからか持ってきては見せたりと、そんなことからもいろんな話が聞けました。これがかなり勉強になったというか。

長崎に住んだことでも、さらにその当時を物語る建物や資料、また人々の話も身近になり、
ある機会では、戦争と環境のテーマで日本との戦争に関わった方の話を聞く機会を得られたり。

戦争を知らない世代ですが、そういった意味ではいくつかのこのような体験がその後の私に大きな影響をうけているのも事実です。

そんな私が長崎に住んでいるころある方に出会いました。

その方は、あの原爆が投下された当時、軍需関連工場で働かれていたそうです。爆心地から数キロしか離れていない場所、現在も車で走っても、そんなに時間がかからないくらいの距離なので、その話を聞いたときは驚きました。

なぜならその方は、私の目には、いつも元気でしゃきっとしていて、働いている姿もパワーがあって若者は負けてはいられない!と思うくらい元気そのものだったんです。私が気づかなかっただけかもしれませんが、仕事を体調不良でお休みする姿も見かけたことがなかったような・・・。

その方は、その時建物の中にいてものすごい爆風で、次に気づいたときにはかなり建物はぐちゃぐちゃで壊れた状態。その時一緒に働いていたお友達も近くにいて助かり、2人で普段なら電車で10,20分で帰れるようなところを丸1日だったか(時間の感覚もよくわからないといってました)、かなりの時間をかけて帰ったと話していました。周りの建物はなくなり風景が変わってしまっているので、家はだいたいこちらの方向だろう・・・など検討をつけながら歩き、足は靴などなくなっているので裸足の状態でかなり歩くのも大変だったということでした。

そして、帰り着いた一週間後。同じ工場でその方の隣で一緒にその時生き残った友達は、体に紫色の斑点が体中にできて亡くなったということでした。

私は、いまでいう女子会みたいな感じで食事に行って突然聞いた話だったので、ほんとにいろんな意味衝撃を受けました。
その方はその当時を思い出したかのように多くの言葉は語らない中で、ゆっくりと言葉を選びながら、戦争を知らない世代の私たちに話をしてくださいました。

普段は、そのような話はその当時を思い出すということで、なかなか人にはお話しないといっていたので、あの場で私たちに体験談を話してくださったことを思うと、ほんとにありがたいと同時に、何十年たっても人々がその当時を思い出すと心を痛めるような戦争はもう二度と起こってほしくないし、私たちも起こしてはいけないとさらに心に固く思いました。そして、子供達にも伝えていかなくては…

こんなに身近だった出来事が、結婚してさらに海外に長く住むにつれて、近くて遠い存在になってしまっていました。それが、最近また少しずつ引き戻されるような出来事が何度かあり・・・。

今でも、世界の国々では紛争や戦争が実際に起こっています。イギリスに住んでいるとその関連ニュースもよく流れ、現地の学校へも戦地から、紛争の国から逃れてきた子供を受け入れることもあって、なんだか身近です。

私も戦争を知らない世代ですが小さいころから、身内から、また学校から、またいろんな地域で、テレビ、・・・いろんな形で戦争について考える機会をもらいました。そのことが、平和の大切さや戦争を二度と起こしてはいけないとおもう自分の根幹になっています。

現在、世代はさらに若くなり、子供たちも戦時下のころの生活などをイメージしたり、その時の心理状態を知るにはさらにイメージがこの現在の生活とかけ離れすぎて難しくなりつつあります。

そんななかでも、少しでも戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えていく方法はあるはず。

実際にその土地の資料館へ行くのはとてもいいことだし、身近なところから見て、聞いて、考える機会を少しずつ与えていくことを時間をかけてやっていく地道な努力が、将来の平和へつながっていくのかなと思います。

一冊だけ本の紹介です。
日本にいるときに印象に残っていて、子供達にも何度か一部写真を紹介したこともありました。

紹介する本は・・・トランクの中の日本(米従軍カメラマンの非公式記録)
写真 ・ジョー・オダネル 聞き書き・ジェニファー・オルドリッチ
発行所・・・小学館

ジョー・オダネルさんはアメリカ海兵隊のカメラマンとして長崎・広島・福岡・神戸まで戦後直後の様子をカメラに収めました。しかし彼はあまりの惨劇を目の前にし、帰国後自ら取った300枚の写真のネガを自分のトランクの中にしまいこみました。しかしそれから45年後、再びトランクを開け・・・


 あとは最寄りの図書館かどこかで機会があれば、また店頭で手に取ってみてください。


ロンドン西部イーリング地区で
           セラピーヒーリングと家庭教師をやっています。


お問い合わせ: miwako_tgw@yahoo.co.jp
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ロンドン在住。夫婦ともども九州出身。17歳の息子1人。いつの頃からか、自分の周りにあるパズルのピースを1枚1枚組み合わせていったらつながり始め、今現在の人生にたどり着いていました。いまだに、ピーズを組み立て中です。

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